1. 魚の発生に関するこれまでの研究の歴史
鈴木先生(以下、鈴木) 今日はよろしくお願いします。まず、魚の発生についてですね。魚の発生っていうものがそもそもどんな学問分野で、どんな研究が発展してきたかというようなところを、黒倉先生からお話し頂ければと思います。
黒倉先生(以下、黒倉) 学問の歴史って説明するのはなかなか難しくて、僕も全部知ってるわけじゃないけれども。それから話の発端のところは、昔の先生から聞いた話と、教科書で読んだ話を総合するしかないんだけど。魚の仔稚魚が卵から生まれて、どんなふうに形を変えていくのかっていう話や、それが結局なぜ必要になるのかという話がある。
一つは、資源学的なアプローチっていう研究ですよね。つまり、卵がたくさん生まれれば、その資源が多くなるだろうから、「その卵が一体どの親から生まれたのか?」っていうことを知らなきゃいけない。そうすると研究のやり方としては、卵の形の変化を記述しながら、孵化した稚魚の形を記述して、どんどん大きくなりながら、形が親に近づく流れを、自然環境下でトレースするっていうことです。こうした形態学的な話が、まず根底にあったと思います。それからもう一つはその形を変えていくプロセスが、その魚のどんな機能の発達に通じているのかみたいなアプローチですね。つまり「形態の変化が何を意味しているのか?」みたいな研究で、どっちかっていうと行動学とか生態学に近いような研究があって、それが形態変化の話に繋がってくる。それから時代が進んでくると、淡水魚はもっと古い時代からありましたけど、海産魚の場合、顕微鏡といった実験器具の発達によって、実際に魚を飼いながら、形態の変化を記述していた人たちがいるんですね。
ちょうど海産魚でいうと、僕らが学部学生だった頃かな。僕は1970年代前半に4年制の大学の学生だったけど、その時代の研究者の中には実際に孵化させた稚魚が、どういう形を経て変化していくのかって記述を網羅的にやったっていう人たちがいて、今だって相当数そういった業績が残っていますね。 そういう分野には、養殖とか種苗生産とかの研究の人たちが貢献したかもしれないです。ただ、そうした研究によって得られた結果や研究の流れそのものに、どのぐらいバイアスがかかってきたのかっていうのは、今日の話の中で議論になるところでだと思います。
鈴木 ありがとうございます。資源学的なアプローチや生態学的なアプローチ、後は顕微鏡などの研究室ベースで外見的な記述を行うアプローチといった、三つの研究の流れがあるというのがわかりました。
黒倉 それに関連して言うならば、生態学者の観察も貢献しているかもしれないですね。つまり仔魚を食べている捕食者としての魚や、お腹の中で食べられた仔魚の形はどうなっているかとか、食物連鎖の段階的にどうかとか。70年代の頭ぐらいですかね、そういった生態学が流行ってきた流れもあったと思うんですね。
鈴木 ありがとうございます。井田先生は、水圏環境に実際にダイバーとして潜られて、魚を観察するということをされてきたご経験があると思うんですが、いかがでしょうか。魚の発生について、現場で実際に海に潜って得られた知見を、どのように研究へリンクされてきたのでしょうか。
井田先生(以下、井田) 今、黒倉先生がおっしゃった60年代から70年代、そしてそれの10年ぐらい前ですね。魚の数は3万種を超えるわけですね。それを人工環境下で飼育しても、発生に関する知見が追求できる種っていうのは限られている。ところが、実際にプランクトンネットなんかで採捕した魚の季節変化を追って行くと、我々が研究室で追求・観察できなかった形態の変化をとる種も少なくないということが、1960年代ぐらいから、わかってきました。有用な魚種から有用でないものまで、様々な種の発生学的研究が盛んになったんです。
鈴木 はい、ありがとうございます。人工環境下で再現できなかったようなもの、もしくは自然環境で見ていたら「あれ?これは人工環境下では現れないよ」っていう現象があるんですね。
黒倉 自然環境下と人工環境下での発生の知見がつながらないとかね。
2. アマチュアダイバーや水族館と共に歩んできた魚の発生研究
井田 それから、特に1990年代からですね、ダイバーによる繁殖生態に関する研究への貢献度が大きくなりまして。ダイバーの中にも、単に魚を観察するだけっていう段階から、いかに観察対象が再生産、繁殖していくかっていう疑問にシフトしていった方が多くいました。当然予想されたことですが、多くの魚種が大潮のような、沿岸水の移動が激しいときに、満月や新月にシンクロして産卵するっていうことが明らかになってきました。ほとんどのサンゴ礁魚類を含めた沿岸性の魚類が再生産、つまり繁殖をするということが、ダイバーによって観察されています。
鈴木 そういう大潮のときや満月のときといった状況は、やっぱり人工環境下では再現できないので、そういった知見の発見に、研究者だけでなく、アマチュアダイバーの方々、つまり実際に海に潜るプロの方々も貢献されてきたんですね。
黒倉 それは、ダイビング技術の向上とか、ダイブツールの発展も関係ありますか?
井田 そういったものの発展と、もちろんシンクロしています。最近はもうカメラ自体を、5気圧ぐらいまでなら、特別なハウジングなしで海に入れられる。最近ではですね、スマホの方が、残念ながらハウジング付きカメラよりも綺麗な映像を撮れますよね。そういう悲しい、かなり悔しい現実がありますよ。
鈴木 高いお金をかけてハウジングを買って・・・っていうそういうこだわりがあった時代と比べると、スマホ一個で陸も行ける、海も行けるっていうのは確かに・・・
井田 それで不思議なことにですね、それに先行して、飼育技術の発達した水族館内でも、大潮、つまり新月・満月にシンクロして、多くの魚類が産卵するという事実も1970年代に観察されています。実はそのとき、水族館関係者の人たちは、満月、新月にシンクロしているってことには気がつかなかったんですよ。ところが、先世紀の終わりに、ダイバーがそういった新月・満月に潜るということで、産卵行動が一致しているってことが、後から確認されてきました。だから、水族館内の飼育環境というのも、何らかのその月齢にシンクロした、生理活性を持っているんですね。
黒倉 おそらく、当時の水族館の目的は、いわゆる流行りの生体展示みたいなもので、できるだけ自然環境に近づけた飼育環境で飼ってみたら、結果的にわかったって感じですか。
井田 そうですね。
鈴木 なるほど。驚きなのはやっぱり人工環境に近い水族館であっても、例えば環境水を引き入れてるとか、外光が入ってくるという環境では、自然にシンクロして、再生産が行われてきたんですね。
3. 魚類養殖研究の歴史
鈴木 今、人工環境ってお話があったので、その点について話を深めていきたいと思います。人工環境で魚を育てるというと、やっぱり我々が産業的な立場で見ると、魚類養殖の話に入っていくのかなと思うんですが、魚類養殖の歴史について黒倉先生から簡単にお話をいただければと。
黒倉 魚類養殖の歴史っていうのは、古いところから言い始めると、中国のコイ養殖とかその辺から始めなきゃいけなくなるからね。それはちょっと私の手には余るし、それこそ歴史学の世界になっちゃうからわかんないんだけどね。網イケスで魚を飼うとか、閉鎖水域すなわち水池みたいなものを作って海産魚を飼育したり、成魚になったものを蓄養するっていうのは明治時代から試験的な事例がありますよね。種苗生産を伴うような、つまり完全養殖に近いような形になってくる養殖業の歴史だと、最初にあった研究課題は、対象魚種に卵を産ませることですよね。卵を産ませることも、さっき言ったように自然環境の中で産ませるっていう観察に近い研究が元々あったかもしれないけれどね。それはなかなか難しくて、最初に人工環境下での産卵にあったのは、手っ取り早いホルモン処理ですよ。当時、シナホリンみたいなホルモンや、魚のホルモンだけじゃなくて哺乳類用のホルモンをものすごい量打って、それで産卵を誘発する。それが、私が70年代の前半に大学院に入って、その頃習った先生、つまり私の世代の一つ前の先生方がやっていた研究。
井田 特にウナギの研究で顕著ですよね。
黒倉 ウナギや、それからクロダイの種苗生産・産卵に成功するとか、そういう話がありました。それで、とにかく何でも無理無理に産ませちゃうっていう形で、ホルモン注射を打って、卵を取るという技術ができた。ただ、後にそれは不自然な産卵なので、養殖環境の中で自然に性成熟を誘発するとか、そういう研究になっていくわけですね。
4. 魚類養殖において使われるエサ開発の歴史
黒倉 一方で発生学的に言うならば、稚魚の餌の問題ですね。中でも僕が習ったのは、ワムシを餌としてやってってことです。養殖魚に種苗生産の段階では、ワムシの話がたくさん出てきて、ワムシの培養の仕方とか、何かと学生さんたちは教わるんだと思います。
でも実際僕たちの習った先生たちの世代は、そのワムシの出てくる前の世代だから、そのときにはもうありとあらゆるものが餌として試されてきた。例えば、何かのノープリウスを使うとか。ノープリウスを使わない、もしくは使えないんだったら牡蠣のトロコフォアを使うとか、そういうことをやってました。それから動物プランクトンを培養して餌にできないかとか、いろんなものを食べさせてきました。今となっては、普通に考えれば、ノープリウス幼生みたいなものを使うようなことを考えると思うけど。
あとはコイの種苗生産のときに使うミジンコですよね。海産ミジンコ、海産枝角類の研究までありました。笑い話をすると、ジャズのアルトサックス奏者の坂田明さんが、卒論で研究されていたこと。広島大学がその当時の魚の種苗生産の研究でトップクラスの地位だった。その大家が笠原正五郎先生だから、その学生さんだった坂田さんは、福山の沿岸で、汽水湖のミジンコを拾って、培養の可能性を研究していた。なぜかそのままジャズマンになっちゃったっていう話ですけどね。そういう話があって、どんどんどんどん研究をやってって、その中で絞り込まれていったのがワムシでした。なぜ、種苗生産の餌がワムシに絞られたのかっていうと、ワムシは培養しやすかったから。大量に培養できるってことで、増やすのが簡単だったんですよね。
ワムシは複相単性生殖で、単性生殖と両性生殖の世代があって、単性生殖の時代には単性的に分裂するから、何回も産卵ができる。つまり単性的に生まれるので、何回も短い周期で産ませることができるんですね。
それからもう一つは、ワムシには系統によって、大きいワムシも小さいワムシもいて、そういう中で種苗の餌の大きさの要求に答えられたというのがある。要するに、種苗の口のサイズに合うってことが、一つ大きい問題だから、サイズにバリエーションがあるワムシは合わせやすく、何の魚にでも使えた。そういうことがあるんです。その後は、種苗の種毎の餌の要求に関する研究もあるんですよ。一番有名なのはウナギですよね。ウナギはワムシで育たなかった。そうすると非常に特殊な餌を探してこなきゃいけない。それも、食べればいいからって非常に特殊なものを探して、だからものすごいお金がかかっちゃって。今はだいぶ餌の経費が安くなって、やっとこの頃、1匹5000円から1万円の餌代に収まってきたかな。餌にかかる経費が高いものは、養殖の飼料としてはとても使えるものではないってなる。要するに、エサを探すっていうのは、対象魚が食べてくれること、人間が培養できること、成長できるような栄養的要求をある程度満たしてることっていう三つの条件を軸に、探してきたわけですね。だから、ある意味で、自然環境下での食性観察の研究とは違う。人工環境下での餌は、人間が手軽に使える餌を探してきた。そういう意味では、今の状況とはちょっと違って、そうした餌も全ての魚に適用できるというわけでもないっていうことがわかってきていますよね。
鈴木 はい、ありがとうございます。やっぱり餌という意味では、摂餌する魚の成長段階に合わせたサイズの要求に応えられるということが大切ですね。小さい頃はノープリウスとかトロコフォア、ミジンコといった小型のものを与えていれば良いという餌研究の段階から、ワムシを発見し、ワムシ一体で、本当に仔稚魚の頃や成魚になってきても、わりとワムシが魚の成長段階に合わせやすいと。
黒倉 成魚はまだちょっと無理だけどね。仔魚の前段階ぐらいは、ワムシで食いつなげられるけど。
鈴木 ワムシのように、対象の魚が食べてくれること、人間側が増やして餌を自動的に生産していけるようにすること、あとはもちろん栄養の方の偏りがないことが、今のお話から大事なことだと思いました。