5. 自然界における魚の摂餌に関する研究の歴史
鈴木 餌の話になったのでこのまま深堀していくと、餌を食べる魚の行動、つまり魚の摂餌についてですね。餌を食べてくれることが重要であるというお話の中で、もちろん人工環境下の中での魚の餌の食べ方の研究というのはあったと思うんですが、自然界の中での摂餌行動っていうのは、どういうふうに研究されてきたのか、井田先生からお伺いできればと思います。
井田 生まれたばかりの稚魚の、形態的なことを具体的な数字で言いますと、ほとんどの魚は0.6から0.8ミリの卵を産むんですよね。そこから生まれる子どもの大きさは大体1.8ミリから2.4ミリぐらいの大きさでしかないんです。ですから、先ほどのワムシなんかはそのサイズに合った成長段階でないと、餌として環境中にあっても食べられないわけです。だから、当然自然界では量の多寡は変動するにしても、適当なサイズの餌が選べるわけですよね。ところが、人工環境下であれば、当然我々が与えられる餌生物の大きさっていうのは、種によって与えるべき餌の大きさというのは決まっちゃうわけですよね。その辺が多分、養殖にあたられた方が苦労したところだと思います。私が申し上げたいのは、生まれたばかりの仔魚の口の大きさっていうのは、その体型が大きい魚であっても、体のサイズの4分の1なんですね。だから、0.7ミリぐらいの口のサイズだと、0.2ミリから0.3ミリ以下の餌でないと食べられない。
具体的な数字はこんなものです。ですから、先ほど黒倉先生がおっしゃった餌生物の困難さっていうのは、そこにあると思うんですよ。しかも、私達はそういった制約のある餌を、コンスタントに生まれた子どもに与えなきゃいけない。そういう困難さが、養殖をはじめとする、魚を育てる方々にはあったのだと思います。
生まれたばっかりの仔魚、例えばクマノミが岩に付着して、温度によっても違いますが、数日でハッチアウトとして漂っていく。そのときの餌が何であるかっていうのは、私は孵化しているのは見ていても、何を食べてっていうところまでは勉強していません。
でも大きくなって20ミリ、30ミリになった仔魚は環境に餌が十分にあるときは、選択的に自分に合ったもの食べられるんですけど、水環境中に餌が不足しているときは、やむを得ず、美味しくなくても食べているということがあります。
ですから、美味しい餌があるときは、胃内容物は極めて単純です。柔らかくて、適当なサイズのものを選択的に食べている。しかし、餌不足の環境では様々な大きさのものを雑多に食べて、しかも量は十分でないということを、稚魚研究で経験しております。
鈴木 今、非常に重要なお話あったかなと思います。人工環境下、天然環境下の違いっていうのは、人工の方は、特定の餌を与えているので、それしか水の中には存在しない。でも一方で天然環境下っていうのは、餌が十分であれば、魚が選んで食べることできる。餌がなかったとしても何かしら食べるものを探せる。
井田 おっしゃる通り。
黒倉 あれですよね。人工環境下では、やれるとしても、「与えられるものしか与えられない」けど、天然では自分に合ったもので選べるし、しかも、それがなかった場合でも、生物って弾力性があるから、適応的に何か代替食材を探す。だから念のため言っておかなければまずいのは、ワムシの後の生物餌料の研究というのも実はあったということなんですよ。私の師匠だった平野禮次郎先生もその研究をなさって、ワムシの後の餌料の研究が重要とおっしゃっていた。実はその頃に、配合飼料の研究が発展してきて、ワムシがすぐに配合飼料に切り替えられるようになってきた。それでそういう研究なくなっちゃったっていう感じですよね。
鈴木 その大きさ、ワムシを卒業する頃のもう大きさになってる魚ってのは、今度は配合飼料ぐらいなら食べられると。
黒倉 配合飼料が消化できるようになってますね。
鈴木 消化管、体内の方の準備もできてきていると。なるほどですね。やっぱり餌っていうのは、先ほども話しに出ていた食べてくれることと同時に、体の中でちゃんと処理できる環境が整うまで、適切な餌を与えなくてはいけない。そこが大事なのかなと、今お二人のお話から思いました。
6. 人工的なエサ「配合餌料」開発・研究の歴史
鈴木 今、配合飼料のお話がありました。先ほど黒倉先生には、ワムシまでの餌料開発の歴史をある程度お伺いをしてきたところですが、配合飼料開発の歴史はいかがでしょうか。
黒倉 僕あんまり得意とする分野じゃないけれども、どうなんでしょうね。今でも多分いろんな研究なされていると思います。例えば、配合飼料の成分の研究が結構進んで、一番やっぱり飛躍的だったのはやっぱDHA、高度不飽和脂肪酸ですか。80年代ぐらいちょっと前か、70年代後半頃に研究が進んできたかな。
降って湧いたように、みんながDHAやEPAって言い出した時代があって、それで今必須の脂肪酸ってことになっているわけですよね。あとは、ある種のビタミンであるとか。それからもう一方で、魚の消化生理の研究が進んできた。この研究で、なんで配合飼料が消化できない時期があって、なんで配合飼料でも消化できる時期があるのかっていうことが少しわかってきた。
鈴木 なるほど。DHA、EPAですね、これらは魚の餌の中に含まれるっていうのはどういう意味があったんですか。
黒倉 魚の体内で合成できない、必須脂肪酸だから。
鈴木 なるほどですね。そうすると同時にビタミンを強化するっていうのも同じ意味合いなのでしょうか。
黒倉 いろんな意味があったと思うんですけど、もちろん魚そのもののビタミン補給っていうのもあったし。記憶が確かじゃないけど、ビタミンEなんかは脂肪酸の酸化を防ぐとかね、還元剤として使うとか、そういう意味があったと思いますね。
鈴木 そうすると、この当時に餌に添加されている高度不飽和脂肪酸やビタミンには、魚の体内環境に影響するものや、餌の保存上のコンディションを整えるために入れているものがあったということですね。
黒倉 【発言に訂正あり】この当時にあったウナギの背こけ病の研究が効いてるかも知れない。当時はサナギ粉をウナギの餌にしてたんだけど、サナギの脂って酸敗するんですよ。そうすると、酸化した脂の影響で、ウナギの背中の肉が落ちてきて、なんだか糖尿病状態みたいになるんですよ。代謝が亢進して痩せちゃうみたいな。それを背こけ病と呼んでいた。それがビタミンEを加えることによって防げるんだけど、それが脂の酸化現象を抑える効果があるからだとわかってきた。その辺の研究が影響したかもしれない。
【訂正コメント】
黒倉より
ちょっと記憶が混乱して、間違ったことを言ってしまいました。蚕のサナギの酸化脂肪による、栄養障害の話です。ウナギの病気に様な表現になってしまっています。かつて、ウナギの飼料として、蚕のサナギが利用されていたのは確かなのですが、その酸化脂肪による疾病である「背コケ」病は、主にコイの病気です。かつて、様々なものが飼料として利用されていた(利用しやすいものが使われていた。)という話の流れの中で、そういえば、ウナギの飼料に蚕のサナギが使われていたなということを思い出して。その話と疾病の話が、頭なのかで混ざってしまって、ウナギの疾病だと言ってしまいました。思えば、コイの「背コケ」病について学んだのは、大学の3年生の時でしたか、今から半世紀以上も前の話です。魚病学は私の専門ではないので、記憶があいまいになっていました。お詫びして訂正します。申し訳ありませんでした。
かなりボケてきているから、これからも間違ったことを言うかもしれませんが、遠慮なく指摘してくださいね。
鈴木 人間の食事で言うと、食品添加物みたいな用途で使われるものもあると。
黒倉 確か人間の食でDHAって騒ぎ出したのは、その後じゃないのかな。
井田 後ですよね、背こけ病になるから。
7. これまで見落とされてきた研究の視点:「個としての魚」の研究
鈴木 ありがとうございます。これまで、自然環境での魚の発生のお話、さらには人工環境下で魚を育てるというお話、そしてそれに関連して自然環境の観察の研究をどうやられてきたのかといったお話を伺ってきたところです。そこで、魚を生かしていく上でやっぱり重要な要素はありましたか。
黒倉 重要だなっていうか、やってこなかったかなって思う研究はありますよね。つまりその、養殖魚というか、種苗生産の最大の欠点だけれど、魚をグループで飼ってるから、その個体史みたいなものをトレースしながら、一匹の個体が現実にどういう変化を遂げながら、どう適用していって、そのときにどういう障害があったとか、どういうことをしたらどうなるかっていうことを、きちんと一個体でもって追跡している研究ってほとんどないですよ。
その意味ではものすごく大雑把に括ってしまっている。細かく区切るのは大変だから、魚のステージをいろいろ生理的に分けて、そのステージ毎に研究するっていうのはあるけど、ある歴史を持った魚一個体が、どう変わっていくかとか、そういうことは見ていないんですよ。
魚の寿命なんて短いじゃないかっていうと、それは確かに短いんだけど、魚の歴史っていってもものすごい歴史でね。さっき井田先生が言っていたように、孵化したときには3ミリですからね。それが、例えば30センチのマダイになると、100倍ぐらい。人間は赤ん坊から大人を比べても体の大きさが100倍にはならないでしょ。赤ん坊が50センチぐらいですか。40センチか45-6センチくらいかな。
井田 どのぐらいでしょうね。
黒倉 100倍だったら、あれですよ。40メーターの人はいないよね。そうするとものすごい勢いで大きくなる。ものすごい勢いで大きくなるってことは、体の中身が変わらないと大きくならない。体内のシステム変えなきゃいけない。だって、小さな心臓ポンプの比率で大きな体の血流循環はしないでしょ。
そういう風に変わってくるわけだから、餌の要求も変わってくるんですよ。だから、例えばそこに消化生理分野が貢献する。なんでワムシや他の生物餌料でなきゃいけないのかっていうと、あの大きさの稚魚は、まだ体が未発達で、消化酵素を分泌してないから、消化管の中で、要するに乾燥タンパクを消化して、アミノ酸まで分解して、低分子化して体内に取り込むことはできない。その代わりに、水溶性のタンパク質を細胞内に取り込んで、細胞内消化やってるわけだから、配合飼料を食えない。
生理学者の貢献によって、そういうことがわかってきた。魚は成長段階で体の大きさも内部システムも変わっていって、成長の段階に合わせて何かを要求していくっていうことなんで、そういうステップを追いながらの研究が、必要になってくるんだと思うんですよ。
鈴木 おそらく今までの学問の世界だと、そのステップってバラバラに研究者が各自やってきた中で繋がっていない部分がおそらくあるんですかね。
黒倉 繋げられないですよね、だってね。
鈴木 もう一人で全部やることはできないですからね。今はその個体の特性っていう話で、個体ごとにやっぱ魚を見てないよね、という話があったんですが、井田先生みたいに、水圏環境下で観察をされてきた方というのは、個体の特徴にかなり注目されるのかなと思うんですけど、いかがですか。個体を見るっていう観点はあったんですか。
井田 それはですね、クマノミみたいにテリトリーが決まっている個体についてはかなりの事例があります。またハゼみたいに、特定の宿主とパートナーシップを結んで生きている魚種に関しては、個体レベルで長期間、年単位での観察例があります。しかし、飼育環境といった人工環境下で、生理的におかしな状況が発見されても、それを科学的あるいは病理学的な観点から追跡するっていうことは、極めて困難です。一個体一個体に対する、飼育者の思い入れも強いですから、自分が育ててきた魚を犠牲にして、その病変が何であるかっていうことを解明するために、研究者に検体を提供してくださる方はまず、いらっしゃらないんですね。
井田 ですから、飼育環境下のどんな要因が、その魚に起きたことに効いてるかっていうことは、残念ながら、病理学的にも正確に捉える歴史がほとんどないですよね。一方、養殖業っていうのは、別の観点から言えば、経済的な営為ですから、多量の投薬とか、何らかの対応するっていうことは、経費がかかってしまう、そうなると、それは業として成り立たくなるわけですよね。
黒倉 いずれの場合も、問題が発生すればバスっと切っちゃうんですよ。切っちゃうか、あるいは問題が起きても無視しちゃうか。
井田 ということで、魚病に関してはすぐ病原生物が何であるかという解析は可能ですけども、その他の栄養学的な病変というのは極めて分析するのは、難しいですよね。
黒倉 それから魚病学の中でも野生動物、野生の魚の病気の研究って少ないですよね。
井田 寄生虫についてはかなりありますね。寄生虫以外で、病変というのは少ないですよね。
鈴木 なるほどですね。驚きなのは自然環境だと特定のテリトリーを持つもの、もしくは宿主を持つものに関しては個体研究がある中で、やっぱり産業方面、養殖になってくると特に個体ごとのケアっていう概念がなかった。
黒倉 そういうことですね。
鈴木 コストがかかりすぎるという問題があったりだとか。
黒倉 水産以外でも、経済動物に関してはやっぱり牛とか馬とか、馬はそうでもないか。豚とか鳥とかいうと個体レベルの研究よりも集団管理の研究になっちゃうんですよね。
鈴木 特に鳥なんか鳥インフルエンザが発生した鶏舎は全部廃棄処分みたいな、そういうのでやっぱりバスっと切ってしまう。先ほど黒倉先生がおっしゃっていたような状況が出るのかなと。
黒倉 だからある意味、そういう個体レベルのものの関心みたいな感覚で、少し病気まで飼育者や研究者の視点を広げてみるかとかね。大体、生態学の中では、例えば社会性持っているものは、個体の研究がありますよ。だって、性転換するハタみたいなものの雄の行動みたいなものは、まさに個体に着目しているからできるんであってね。あの一匹の雄がどうやってメイティングするか、その手順の研究もあります。
8. 学術機関とアクアリストの連携の可能性①
鈴木 経済動物、中でも魚においては、ちゃんと一生を遂げられるかっていう観点ではおそらく研究や産業的な営みはなかった。そう考えると、ある意味では、アクアリストの方というのは、一個体ずつをかなり見ている方々なので、研究者と情報交換して、研究していくという方向性もあるのかと思います。これは、新しい研究のやり方としてはどうなんでしょう。長年、大学研究関係に携わってきた先生方の視点から見ると、アクアリストのような方々とコラボレーションして何かやっていくっていうのは、意味があるのでしょうか。
黒倉 それは一つの方向性としてあるし、重要だと思う。そういった取り組みをすぐやれるやり方を考えるって言ったら、水族館とか、あるいは大学の研究所、水産実験所等で働いている技術職員の方のスキルを、個体レベルの飼育という視点に関心を向けて、そういうスキルをものすごく高めて、研究のためにその技術を提供してくださる場面を作るとかかな。そうじゃないとすれば、やっぱりそれはアマチュアサイエンティスト、あるいはホビーでやってる人たちがそういった視点に興味を持って、彼ら彼女らに活躍してもらう場を作るとか、そういう方向になると思います。
井田 少なくとも得られた情報はね、積極的に提供していただければと思います。
鈴木 なるほどですね。今のお話は魚が生きる上で重要なことという話の中で、個体に注目していくというのが、特に研究や魚を飼う側にはこれから重要になりそうだということがわかりました。あとは黒倉先生がおっしゃっていたように、魚は成長段階の幅があまりにも大きく、ミリからセンチ、あるいはメーターを超えるような子までいる。そういった中で、その成長段階に合わせた適切な餌が必要になってくるんだなっていうのを感じたところでした。